もち菓子のかしはら - もち菓子のかしはらについて

餅菓子専門店 ふるさと産品開発

ご注文・お問い合わせは ・・・ 電話 0845-25-6116

もち菓子のかしはらについて

餅菓子「かしはら」のはじまり

 1941年(昭和16)、柏原伸一(店主)が生まれた時、お祝いにみかん餅を父親(先代)がついた。「餅菓子のかしはら」は、そこからはじまりました。

 先代柏原は長男(柏原伸一)の誕生祝いに以前から因島重井町で餅屋を営んでいた兄に習いみかん餅をついた。その年「柏原餅店」という名で創業しました。

 1960年(昭和35)、伸一は関西に和菓子の修業にでます。その後、因島に帰り、「柏原餅店」にて、餅屋の餅に和菓子を取り入れ、餅菓子を作りはじめます。

誕生餅はっさく大福を開発した柏原伸一と父親がお祝いについたみかん餅

家族写真昭和31年の田熊港

夫婦で新しい餅菓子を開発

 1965年(昭和40)、亡先妻と結婚。それを機に店名を「餅菓子のかしはら」とし、夫婦で力を合わせ、あたらしい餅菓子(因島で採れる柑橘、フルーツ、海産物を使った餅菓子)を研究しはじめます。
2004年04月24日_CIMG0132.JPG

 1989年(平成1)に行われた「海と島の博覧会」開催時、因島の会場として現因島フラワーセンターが作られました。因島は「水軍と花とフルーツの島」というキャッチコピーを掲げます。
DSC02489.JPG

 その折、フルーツをつかった餅菓子を試作し、会場で大勢の人に披露します。因島でとれる柑橘からイチゴ・キウイまですべてのフルーツを大福にいれてみました。そこで、はっさくに「これだ!この完熟してない採れたてのすっぱいはっさくとしろ餡の甘さのマッチングだ!」とはっさくをいれた大福に注目し、試作を続けました。その後、はっさく大福は亡先妻と4年の年月をかけて完成させました。

2004年04月24日_CIMG0141.JPG

 2002年(平成14)には、柏原伸一の誕生祝に父親(先代)がついたことからはじまりの「みかん餅」で第二十四回全国菓子博覧会・農林水産大臣栄誉賞を受賞しました。

mikanmochi2.JPG

有名人の来店とはっさく大福

 はっさく大福の評判を耳にしたソムリエの田崎真也さん、脚本家の内館牧子さんが来店。その後、お二方とは交流ができ、田崎真也さんの出版した「絶品お取り寄せ手帳」にはっさく大福が掲載される。内館牧子さんの「はっさく大福」のお礼状と相撲の「為御覧」。
「絶品お取り寄せ手帳」内舘さんからの葉書為御覧

技術指導 二人の弟子 昇福亭とはっさく屋

 前身餅菓子店「かしはら」時代には、片山さんが弟子入り。2年間の修行時代を送る。片山さんは独立後、尾道の坂の途中にある「昇福亭」を出店。

昇福亭片山さん

 その後、はっさく倶楽部のメンバーと共に「はっさく屋」を因島田熊町にオープンした際、柏原伸亮さんを責任者に起用。開店から商品の製造すべてに渡り指導。その後、伸亮さんは因島大浜のレストハウスに「はっさく屋」を移転。事実上の独立となる。伸亮さんには今も技術指導をしています。

はっさく屋開店、はっさく倶楽部メンバーはっさく屋

もち菓子「かしはら」の再開

 先妻を亡くした後、先妻との間に子供がいなかった伸一は、残りの人生を一緒にすごす相手をさがし、夏子に出会い結婚。夏子さんの連娘洋洋が料理人龍一と結婚。その娘夫婦が「もち菓子かしはらを継いで伸一のはっさく大福の味を残したい」と申し出る。

 そこで、創業70年のもち菓子「かしはら」を再開させる。3番弟子、柏原龍一と洋洋のもち菓子「かしはら」はじまります。

復活!もち菓子のかしはら
左から、柏原伸一、夏子、洋洋、龍一。

かしはら簡易年表

1941年
(昭和16)
先代(父親)が「柏原餅店」創業。
1965年
(昭和40)
結婚を機に餅菓子店「かしはら」と店名を変え、2代目として正式に父から店を受け継ぐ。
2005年
(平成17)
妻に先立たれショックのあまり店を閉店。
2011年
(平成23)
再婚した妻と娘の助けがあり、町の人々の応援に後押しされ、再び因島田熊町に「もち菓子のかしはら」を開店。はっさく大福を地域の人たちと共につくりつづける。

地図詳細