因島市政40周年記念・いんのしま市勢要覧(1993年/平成5年10月20日発行)の「因島を語る・市長と高校生のフリートーク」に因島高校卒業生が載っていたので掲載させていただきました。このフリートークは同年5月29日に収録されたものです。

出席者は左から宮地玲輔くん(当時因島高校3年生)、司会の山口ゆきさん(フリーアナウンサー)岡野敬一氏(当時市長)、村川由美子さん(当時因島北高校3年生)です。

働く場と楽しむ場がほしい

司会 現在、お二人は高校3年生ということで、進路の決定に関して大事な時期ではないですか。

宮地 そうですね、一応理数系のクラスにいるので、薬学部に進んで将来は薬剤師になれたらいいなと、漠然と考えています。大学は関西方面で、就職もたぶん、そちらですると思います。

村川 私は広島県内の情報処理関係の大学に進みたいです。でも学生寮があることが条件なので、岡山や山口の大学になりそうです。就職の場が因島にはないので、大学卒業後も帰らないと思います。

司会 市長、若い人の働く場がないという意見が出ましたが…。

市長 確かに若い方の職場が少ないこと、娯楽がないことは以前から指摘されています。昭和60年まで因島市の産業は造船業が90%以上を占めていましたが現在は50%以下になり、代わって多種多様な産業が導入されましたが、どれも規模が小さく、雇用機会も思うように広がっていないのが現状です。同時に人口が減少しつつあり、しかも5に1人が65歳以上の高齢者です。これら高齢者問題、若い人たちの雇用問題は、当面の重要な課題といえます。宮地君や村川さんはまだまだ若いのでどんどん外へ出て、いろいろな経験をしてください。離れてみて、始めてふるさとの良さがわかったりもしますし。しかし、私は皆さんが帰ってくるたびに「ああ、まちがどんどん変っているな」と実感できるよう、今、努力しています。

司会 現在の因島は高校生の目から見て、住みやすいと思いますか。

村川 島の西側は拓けていてにぎやかですが、東側の椋浦などはまだまだ自然がたくさん残っていて、気がやすまります。また私はスポーツが好きでソフトテニスをしているのですが、もっと気軽に出かけられるスポーツジムのような施設があればいいと思います。それから、普段の買い物は不自由ないのですが、洋服に関しては少し感覚が遅れているので、市外で購入することが多いですね。

宮地 海あり、山ありで自然に恵まれているし、道路も舗装され日常の買物も不便を感じることはありませんね。学校の校合もだいぶ改善されているし、日々生活環境は整ってきていると感じます。しかし図書館や娯楽施設などはまだまだ足りないと思います。

市長 現在建設中の芸子文化情報センターには、図書館と多目的ホールを設ける予定です。図書館については、県下13市の中では一番遅い取組みになりましたが、その分内容を充実させ、10万冊を収録。水軍の資料も集めるなど特色ある図書館をめざして今、着々と準備しています。一方、多目的ホールで月に1度くらい映画の上映を行ったり、 300~ 400人くらいを収容してパーティーを開催するなど、多彩な使い方を検討しています。その他、温水プールや総合福祉センターなど文化・スポーツ施設の建設計画はめじろ押しで、今まで足りなかった分、急ピッチで整えています。

宮地 以前、映画館やボーリング場があったのに、次々となくなったので淋しく思っていました。では、今後が楽しみですね。

新空港、西瀬戸自動車遺に寄せる期待は大きい。

司会 それにしても、本年は新広島空港の開港、山陽自動車道の開通、そして将来は西瀬戸自動車道の全通など因島を取り巻く交通アクセスが、大きく様変わりしてきますね。

市長 ええ、今年の10月に新広島空港、山陽自動車通が完成します。現在、広島空港から約2トンの農産物が輸送されていますが、今後は東京や大阪、広島など市場が近くなるので、当市が力を入れている花や付加価値のある野菜、フルーツなどの需要が増えると思います。トロピカオレンジと宮川温州を合わせた新種のフルーツ”きよみ”もこれらをにらんで開発されたものです。また、西瀬戸自動車通が全通した時、いかに因島を訪れてもらうか。そのためにも今から魅力あるまちづくりを進めておかなければなりません。道路や施設の整備ももちろんですが、まちの魅力はそこに住む人の人柄です。現在、市民が各地区で競うように花でまちを飾ってくださるようになり、『花いっぱい運動』も素晴らしい盛り上がりで、大変心強く思っています。うれしいことですね。

司会 お二人は遊びに行くのは福山や尾道、三原に出かけることが多いそうですね。でも交通費がかかるでしょう。

宮地 バスを利用しますが、尾道まで片道 880円は学生にはきつく、夏休みや冬休みにしか行きません。

村川 私も因島大橋が架かって便利になったとらま思いますが、通行料金が高いと思います。せめて普通車1000円以内にしてほしいです。

市長 市民からも因島大橋の料金は高すぎるという声をよく開きます。私も本州四国連絡橋公用に再三要望しています。そしてJRの周遊券のように、どこの島でも乗り降り自由なチケットの発行なども、提案するつもりです。

司会 着々と西瀬戸自動車通が出来つつあるわけですが、全線開通すると因島は通過点になってしまう危険性はないでしょうか。

市長 それはないですね。瀬戸大橋の場合は経済道といえるでしょうが、西瀬戸自動車道は9つの島を結ぶ地域生活道としての役割が大きく、人々の生活に密着した造になると思います。だからこそ、当市だけでなく大三島や瀬戸田などがお互いに助け合って、広域的に瀬戸内海を巡る楽しさを今から作っていくのです。もちろん、島同志の地域間競争もあるでしょう。しかし、みんなが切磋琢磨すれば、観光都市としてのレペルも向上し、お互いの魅力がますます輝くのではないでしょうか。

宮地 現在、生口島と拷島を結ぶ金山一赤崎間のフェリーが廃止されるのではないかと言われていますが、このフェリーは高校生の大切な交通手段なので、廃止してほしくないです。生口橋を渡ると登り道になるので、フェリーを使う方が便利だという声が圧倒的です。

市長 フェリーの運航については、民間に委託する予定です。現在は市が運営していますが、1日に約30方円の赤字です。1年で約9000万円。これは皆さんのご両親が約められた税金でまかなっているのですから、大変な損失ですね。民間に運営していただくと年間2000万円で運航でき、7000万円が有効に使えます。7000万円あれば幼稚園が建てられますよ。今後は朝夕のラッシュ時に集中的に運航し、昼間は1時間に1便運航するなど合理化を図ります。ただ、今の状況では採算が合わず、しかもせっかく納めていただいた税金が無駄になってしまいます。それは、市長として堪えがたいことですね。

司会 なるほど、実際に市長の考えを開くと納得できますね。

水軍、花、フルーツは因島の素敵な魅力

司会 料島のキャッチフレーズは『水軍とフラワーとフルーツの島』ですね。お二人は水軍について、ご存じですか。

村川 昔、因島を本拠地にしていた海賊ということしか知りません。

宮地 水軍城の近くに住んでいながら、まだ一度も行ったことがありません〈笑〉。

市長 『水軍とフラワーとフルーツの島』は、因島らしさをアピールするものです。先日はシンボルマークも発表、大々的に因島をPRしていくつもりです。因島は『村上水軍』のふるさとといわれていますが、地元の皆さんは意外に知らないことが多いんですね。そこで、今年市制40周年を迎えるにあたり、村上水軍の足跡を読みやすいマンガでまとめているところです。水軍=海賊というイメージがありますが、実際は水先案内入として海運業を盛りたてていった様子や、造船業に引き継がれて発展していったことなど、因島が社会に果して釆た役割を知っもらうための本です。

司会 市長はいろいろな角度から因島のことを考えていらっしゃいますね。お二人が因島をPRする場合、どんなアイデアがありますか。

村川 島外から観光客が発た時、参考になる因島の案内所がありません。だからたくさん人が集まる土生港や重井港に案内所を設けてはどうでしょうか。観光名所の情報やおみやげ品を置くなど、いろいろ活用できます。まちのいたるところで情報が得られると、気軽にサイクリングしながら島を回れて楽しいと思います。

宮地 大浜崎公館に野外ステージがありますが、年に1回『水軍まつり』の時だけしか使わないのではもったいないような気がします。もっと有名人を呼んだりしてイベントを行うと人が集まると思います。

市長 確かに野外ステージの有効な使い方は検討すべきですね。ただ、行政だけがイベントを行うのでなく、高校生のバンドがコンサートをするのに使ってくれてもいいのです。市民の方々に積極的に利用していただきたいですね。、市では平成元年に向こう10年の因島の姿を目標として『因島市新総合計画』を作りました。これは5つのまちづくりの柱を打ち立て、それぞれについて道路網の整備、若い人向けの市営住宅の建設、リゾート産業に付随した第一次・二次産業の活性化など、細かく施策や事業内容を計画しています。でもあくまでも主役は市民一人ひとりですから、みんなの手で魅力あるまちにするべきでしょう。計画発表から5年たった今、計画は順調に進んでいます。きっとお二人がまちに帰ってくるたぴに、因島は変わっていると思いますよ。

村川 私はもっと住みやすくなってほしいとは思いますが、反面、どこかに因島らしい自然を残しておいてもらいたいとも思います。ディスコやカラオケボックスなど、まちの雰囲気を乱しそうな施設はいりませんから、帰ってきた時にほっとするような風景だけは壊してほしくないですね。とてもわがままかもしれませんけど…。

宮地 僕も同じです。とりあえず一人暮らしを経験してみたいので市外へ出ますが、因島はとてもいい所です。将来、またここに住めたらいいとも思います。

司会 最後にお二人の夢は?

宮地 まず大学に入学することですね。

村川 私も自分の特技を活かせる職業に就くこと。いずれ結婚して子育てもするでしょうが、どこにいても住んでいるまちに対して、積極的に自分の意見を言える主婦になりたいです。

市長 お二人はまだ若いですから、これから先々、目標を持って生きることが大切です。「これがやりたい!」と目標を定めたら必ず”できるんだ”と思い込むと本当に実現するものです。私も平成10年をめぎして『因島市新総合計画』を進めています。必ずできるんだ、という強い意志を持って取組めば住み良い因島に生まれ変わるはずです。みんなが誇れるまち・因島を作りましょう。

司会 素敵な因島像が見えてきましたね。今日は皆さん、どうもありがとうございました。

以上、因島市政40周年記念・いんのしま市勢要覧(1993年/平成5年10月20日発行)より