恩師 大村勝先生

初めて土生町へやって来たのは因島市制施行3年前の昭和25年4月。当時は御調郡土生村でした。島の第一印象は道路の狭さでした。土生中学校へ5年間勤務したのち発足したばかりの因島高校機械科へ転勤。そこは見事に何の設備もない木造二階建てのオンボロ校舎のみで、各教室の個人用ロッカーから自転車置き場、そして実習用のキューポラ(鋳物を溶かす炉)まで一回生、二回生のみんなで手分けして夏休み返上での手造りでした。何もかも整った恵まれた環境下にある現在の高校生には想像もつかないでしょう。それだけに今では求めても得られない貴重な体験をしたのかもしれません。

やがて因北分校と合併し、因島北高等学校となるわけですが、それまでの教室の窓からの眺望は、圧倒されるような巨大タンカーの姿でしたが、新校舎でのそれは生口島の山に沈む夕日の美しさ……これ以上の学校環境はないなあと思ったものです。

その後平成11年には高校も一つに統合され、装いも新に因島高等学校として現在に至るわけですが。

時代は大きく様変わりしましたが、あの美しい夕日は変わらず今もクラブ活動を終えて下校する生徒達の目を和ませていることでしょう。

さて、退職後の私はそれと同時にソフトテニススポーツ少年団に関わることになり、以来コーチの方は昨年迄続けてきましたが、少子化の影響で団の存続が難しくなり遂に解散の止むなきに至りました。

大人の組織であるソフトテニス連盟には現在も所属しテニスを楽しむ一方、役員としてお世話させてもらっています。他の役員も殆どが因島高校同窓生ということもあり、ツーカーで楽しくやっています。見回せばスポーツ関係に限らず多様な分野でOB諸子が活躍されており頼もしい限りです。過疎化の一途にある因島の活性化の為に、その原動力として今後も益々頑張って頂きたいと思います。