同窓会会長 竹中啓修


 私は8月15日の総会で、16年間務めた同窓会長を退任いたします。
 ここまで会長を無事務めることができましたのも、皆様方からいただいたご支援、ご協力のお陰であり、心から感謝申し上げます。
 思えば柏原啓造会長のもとで、創立70周年記念事業を手掛けたのが、同窓会をお世話させていただく始まりでした。1,000万円の寄付集め、運動器具一式の寄付、会員名簿づくり、70周年記念誌発行(1993年5月)など、日夜奔走いたしました。

 特に、記念誌の発行では、前会長白石研蔵編集委員長(高2)のもと、峯松宏元教頭(高2)、村上祝子さん(高2)、故塩出次男先生、則藤了先生(高17)ともども連日夜遅くまで、原稿集め、編集、校正にがんばりました。「初校」までこぎつけ、「やっと……」と言われた白石委員長の声が、今も耳に残っています。
 年度総会を当番回生が担当する制度になったのは昭和53年、私たち7回生が初めてでした。毎年、会場探しにも一苦労、因島スポーツセンター、市民会館ロビー、高校グランド、生協センターと次々に変遷、芸予文化情報センターが完成して、やっと落ち着きました。
 各担当回生は、先輩に負けじといろいろ工夫をこらし、年々総会を盛り上げることができました。しかし、次第に地元に残る卒業生が少なくなり、最近の卒業生は、厳しい試練の時期を迎えているように思います。本年は、昭和60年卒業生が担当することになっていて、がんばってくれています。何はともあれ、今日までこの仕組みを、29年間連綿として続けることができましのは、関係者のご尽力の賜物であり、心からお礼申し上げます。
 平成9年頃でしたか、広島県教育委員会から因島高校と(定時制を含む)因島北高等学校を、北高の地に統合したいとのお話がありました。統合には、OB会、同窓会の協力が不可欠とのこと。同窓会としても、協力支援体制づくりに尽力いたしました。特に校名を「因島高校」にすることについては、地元の区長会を始め各種団体の署名をもらって、県教育長に要請し(県庁に通うこと7回)、希望をかなえることができました。
 いよいよ新校舎の工事が始まり、学校への出入りの回数が多くなるに従い、学校内が相当荒れていることに、気づきました。校内暴力、登下校のマナーの悪さ、多数の遅刻者、原色の奇抜な髪型・服装、派手な化粧の女生徒、授業中の私語、眠る者など、大変な状況でした。何から手を付けようかととまどいましたが、先生を始めPTA、同窓会、地域の皆さんのご協力のもと、平成12年「因島高校を支援する会」が誕生。皆さんの懸命なご努力のお陰で、時間こそかかりましたが、今では、見違えるような立派な学校になりました。
 平成14年5月25日、晴れて因島高校創立80周年、因島北高校創立35周年、学校統合校舎・体育館落成記念式典を挙行することができました。記念行事として、会員名簿の作成、表玄関の庭園造りなど、苦労の末、完成いたしました。
 2・3年の内には、学校統合10周年、創立90周年の周年事業が控えており、会員の皆様には、引き続き変わらぬご支援、ご協力をお願い申し上げます。
 最後になりましたが、長年にわたる皆様方の暖かいご支援、ご協力を感謝すると共に、因島高校と同窓会のますますの発展を祈念してごあいさつといたします。