215.いんのしま 今(08/01 08:37)


因島市しまおこし課長 木村修一(昭40卒)

 1999年5月、広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ西瀬戸自動車道が全線開通した。7つの美しい橋が9つの島々を結んでいる。全線は通称「しまなみ海道」といわれており、開通に伴い観光客は大幅に増えた。久しぶりに島は活気を取り戻したところである。

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 本土と橋で結ばれたことは生活を一変する大事件であることはいうまでもない。橋の開通により、これまで本土から隔てていた海が消えて島が島でなくなるほどの変化であった。

 橋の開通は、それまでの海上交通から陸上交通に変わり、インターチャンジを中心にまちが広がりつつある。通勤、通学はもとより、買い物、病院への通院等、交通も便利になったが、反面、土生町商店街等中心市街地の衰退が始まっており、これの賑わいを取り戻すことが大きな課題となっている。

 かつて因島は造船とみかんで発展してきた。昭和60年代の日立造船の合理化以来、人口は4万2千人から現在2万8千人と減少している。高校も因島高枕と因島北高枚が統合され、小中学枚も統廃合計画が出されようとしている。因島は今、大きな曲がり角にさしかかっている。

 さいわい、因島には高度な技術集積があり現在も若者に技術の伝承をするため、島内外の若者が技術研修に励んでいる。物づくりの危機が叫ばれている今日、因島の将来を支えてくれるものと信じている。日立造船の合理化に伴い、新しく生まれた企業の中には世界レベルの技術力を持った企業もあり、これらの企業の発展が期待されている。

 また、市民参加型のイベントである水軍まつりは村上水軍の歴史、文化を伝えるまつりとして日本イベント大賞にも輝いた。その他白滝山、五百羅漠、フラワーセンターを訪れる観光客は海と島と橋のおりなす風景とともに絶賛している。

 かつて美しい瀬戸内海国立公園の中で最も輝いていた因島に、今も残る繁栄の面影を単なる過去の宝物に終わらせることなく、これからも輝き続ける主役の位置を確保してゆきたい。そのためには島に住む我々はもちろん、遠く異郷の地で活躍されている同窓の諸兄の暖かいご支援、ご助言を心からお願いしたい。

因島高校同窓会報2号(2001年)より

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